過去に白血病になった芸能人まとめ!渡辺謙【完治】から大塚範一【再発】まで

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健康
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池江璃花子さんが発症を発表したことで注目を浴びている白血病




症状としては白血球の異常により体中にあざができたり、急に鼻血が出たりという異変が起こることで有名です。

遺伝性はないものの、一度発症すると再発の可能性があります。

治療をすれば必ず治るというものでもなく、重度の白血病では検査・診断の結果、完治どころか末期で余命を宣告されるケースも。

科学が進み、治療法が発展した現代においても重い病気と認識されている白血病。

完治を果たした渡辺謙さん、残念ながら再発してしまった大塚範一さんなどの過去に白血病になった芸能人をまとめてみました!

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白血病とは?

白血病(はっけつびょう、Leukemia)は、「血液のがん」ともいわれ、遺伝子変異を起こした造血細胞(白血病細胞)が骨髄で自律的に増殖して正常な造血を阻害し、

多くは骨髄のみにとどまらず血液中にも白血病細胞があふれ出てくる血液疾患である。

白血病細胞が造血の場である骨髄を占拠するために造血が阻害されて正常な血液細胞が減るため感染症や貧血、出血症状などの症状が出やすくなり、

あるいは骨髄から血液中にあふれ出た白血病細胞がさまざまな臓器に浸潤(侵入)して障害することもある。

治療は抗がん剤を中心とした化学療法と輸血や感染症対策などの支持療法に加え、難治例では骨髄移植や臍帯血移植などの造血幹細胞移植治療も行われる。

大きくは急性骨髄性白血病 (AML)、急性リンパ性白血病 (ALL)、慢性骨髄性白血病 (CML)、慢性リンパ性白血病 (CLL) の4つに分けられる。

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白血病と診断された池江璃花子のコメント

白血病と診断された池江璃花子さんが自身のツイッターにてコメントを発表しました。




まだ未成年でありながら芯の強さが垣間見えます!

困難に立ち向かうその姿に逆に励まされた方も多いのではないでしょうか。
 

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白血病と診断された池江璃花子に対する応援メッセージ

白血病と診断された池江璃花子さんに対して芸能人、一般人問わず、続々とエールが送られています!

 
白血病と同様に重病の危険性がある脳動脈瘤の詳細はこちら!


 

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過去に白血病になった芸能人まとめ

ここからは過去に白血病にかかって闘病の末、完治した方、再発してしまった方、残念ながら亡くなられてしまった方を見ていきましょう!

過去に白血病になった芸能人1:渡辺謙(完治)



以降、舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じ、前途洋々に見えた1989年、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。

再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。

定期的に入院治療を続けながら、仕掛人・藤枝梅安を中心に活動するが、大きな仕事はできなかった。

経過は良好に見え、一応治療が終了した1993年、NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、完全復活をアピール。

しかし、発病から5年経過した1994年に再発。再治療を行い、経過は良好となって、翌年無事復帰を果たす。


渡辺謙さんから池江璃花子さんに対してエールが送られています。


白血病闘病経験者である渡辺謙さんからの励まし。心強いエールです!

過去に白血病になった芸能人2:吉井怜(完治)



2000年、奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時に急性骨髄性白血病を発症した。

病名は両親にだけ伝えられ、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられた。

医師から治療(抗がん剤投与)の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられ、芸能生活がおしまいだと絶望感を味わったが、当時の専務の「待っているから」という言葉にはげまされた。

治療では無菌室に入り、1回目の抗がん剤の投与で髪の毛が抜け落ち爪も黒くなった。

入院から一か月後に白血病であると知らされた。抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月がかかった。

医師は彼女に寛解維持療法と骨髄移植の2つの方法があり、母親とHLAが一致することから骨髄移植を勧めたが、彼女は芸能界復帰がかなわなくなることを恐れ寛解維持療法を選んだ。

自宅に戻ったがすぐに芸能界には復帰できず、兄の「生きてなかったら、仕事もできない」という言葉で骨髄移植を受ける決意をした。

2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けた。

移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶を無くしている。血液型がA型からO型に変わった


吉井怜さんからも闘病の経験談と合わせて池江璃花子さんに対しての応援のコメントが寄せられています。


・骨髄移植のときの治療の方がしんどい記憶として残っています。最初のころは高熱が出たりとか寝られないくらいの日が続きました。池江選手がコメントで、前向きに治療に専念しようという告白をしたことはすごく勇気がいること。前向きに考えられる強さは尊敬に値します。私は絶対に戻るんだという気持ちは強く持っていたことが大きかった。本当に回復されると信じています
 
同じ女性病闘病経験者からの励まし。きっと池江璃花子さんも勇気を受け取っていることでしょう!

過去に白血病になった芸能人3:本田美奈子(死去)

 

 

2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。

そんな中11月には地元・朝霞市でのコンサートや、12月23日には新宿文化センター大ホールでのクリスマスコンサートに出演。

暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった翌2005年1月30日テレビ朝日系放送の「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。

翌2005年(平成17年)1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表された。

その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解(癌細胞が十分に減った状態)は得られなかった。

急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。

治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクでドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月、臍帯血移植を受けた。

同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月8日に再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を受けた。

翌月には再度一時退院、その間には白血病患者支援のためのNPO法人『Live for Life』が設立されたが、同月末には再入院となった。

その後肺への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、家族らの見守るなか、死去した。38歳没


アイドル歌手としてデビューし、晩年はミュージカルでも大活躍した本田美奈子さん。

葬儀にはたくさんのファンの方が弔問に訪れ、その早すぎる死を惜しみました。
 

過去に白血病になった芸能人4:夏目雅子(死去)



1985年(昭和60年)2月14日、舞台『愚かな女』の公演の最中、10円玉大の口内炎が出来、さらに激しい頭痛など極度の体調不良を訴える。

それでも泣きながら「這ってでも舞台に戻る!」と、頑なに出演続行を望む夏目本人を何とか説得して、共演の西岡徳馬の勧めにより翌2月15日、慶應義塾大学病院に緊急入院した。

急性骨髄性白血病と診断されたが、夏目本人には「極度の貧血」とだけ告げ、本当の病名を伏せていた。

夏目の入院と共に夫の伊集院は、仕事をすべて辞めて彼女が亡くなるまで母親らと共に看病にあたった。

当初から、娘の芸能活動にずっと反対だった母スエは、彼女が入院して初めて娘の出演する作品をみて、ベッドの彼女に話しかけた。その時彼女はとても喜んだという。

その後、約7ヶ月に渡る闘病生活を送りながらも順調に回復し、退院間近の報道もあった矢先であったが、8月下旬から抗がん剤の副作用が原因とみられる肺炎を併発。

高熱が続き、9月8日に熱が一時的に引いたが、翌9日から再び高熱を発して、意識不明の重体になり、1985年(昭和60年)9月11日午前10時16分、逝去。27歳没。

若くして名女優と呼ばれた夏目雅子さんも白血病で亡くなられました。

夏目雅子さんは白血病が原因ではなく、抗がん剤の副作用がきっかけで体調が悪化して亡くなられたため、当時抗がん剤についての議論が巻き起こりました。

過去に白血病になった芸能人5:大塚範一(再発)

 

2011年11月2日から体調不良を理由に『めざましテレビ』の出演を休業。

急性リンパ性白血病と診断を受け治療を受けることになる。大塚は同年11月7日放送分の『めざましテレビ』に生電話出演。

闘病生活へ入った経緯について他の出演者や視聴者に向け説明を行った。

寛解(完治ではないが、病状が一時的あるいは永続的に軽減また消失すること)と診断され、2012年10月1日に退院を果たす。

退院後の生活については「自宅から定期的に通院し、検査を行いながら体力の回復を図る」と発表した。

本格的な仕事復帰については、体調を見ながら年明けか新年度を目指すとしていた。

しかし、本格復帰目前の2013年3月16日、白血病が再発したことが判明する。

フジテレビは、大塚が『アゲるテレビ』への出演予定を当面キャンセルし、再び闘病生活に専念することを発表した。

同年9月、退院。同年10月5日放送の『めざましテレビ』特別番組に生電話出演し、臍帯血移植手術をしたことを明かした。

また、血液型A型の少女が血液ドナーだったため、移植手術を受けて血液型がB型からA型に変わったことを明かした。

2014年5月4日放送のフジテレビ『ワンダフルライフ』にもゲスト出演し、以後、情報・バラエティ番組へのゲスト出演を時折行っていた。

だが、2015年5月の『世界HOTジャーナル』を最後にテレビ出演を、2017年1月のラジオ番組を最後にメディア出演を行っていない。


めざましテレビでお茶の間の人気を博した大塚範一キャスターも白血病に苦しんでいる一人です。

復帰目前での再発の告知はどのように受け止められたのでしょうか…。

またテレビでお目にかかれる日を楽しみにしております!

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芸能人以外で過去に白血病になった人は?

いままで俳優、歌手などの芸能人を紹介してきましたが、芸能人以外の白血病闘病者も見てみましょう!

過去に白血病になった有名人1:アンディ・フグ(K-1ファイター)



2000年10月9日のK-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAでトーナメントに出場する予定だった。

しかし大会の2か月前の8月24日午後2時に正道会館で記者会見が行われ、アンディが入院先の日本医科大学付属病院にて急性前骨髄球性白血病 (APL) によって危篤状態であることが発表された。

病気のことは周囲に心配をかけることを嫌い、家族にすら内緒にしていたという。

死の床でアンディは、日本での活躍の場、K-1での活躍の場を提供するきっかけを作った正道会館の石井和義館長(当時)と会話。

「I Love You. 館長。」と語りかけ、石井は「I Know. わかっているよ。」と答えたという。

臨終の間際、石井会長やアンディと親交の深かった角田信朗ら関係者各位の

「何してんねん!」「試合はまだ終わってないぞ!」「アンディ、ハンズアップ!(構えろ!)」

などの激励により、3度の心肺停止状態から回復したものの、4回目の心停止には応えず、担当医師が「角田さん、アンディは3度立ち上がった。

残念ですがドクターストップです。もう休ませてあげましょう。」と延命処置の打ち切りを指示したこともあり、午後6時21分に永眠した。

葬儀は本人の希望を酌んで日本式の仏式葬儀で行うことになり、麻布の善福寺で営まれた。2000年8月27日の告別式はテレビで生中継された。

K-1黎明期を支えたアンディ・フグ選手もまた白血病により帰らぬ人となりました。

当時のK-1においてもっとも高い人気を誇っていたアンディ・フグ選手の死は多くの格闘技ファンを悲しませました。

出身国であるスイスと彼が愛した日本の両方で今でも英雄として讃えられています。

過去に白血病になった有名人2:大豊泰昭(プロ野球選手)


闘病生活の末に同年8月に退院したものの、2010年3月に再発。実妹からの骨髄移植を受け、同年9月上旬に退院した。

2011年3月26日に体力的に経営が困難になった「大豊飯店」を閉店。

5月25日に岐阜県海津市のお千代保稲荷参道内に「大豊ちゃん」として移転オープンしている(オーナーではなく雇われ店長扱いであった)。

2012年、大豊飯店時代の顧客女性と再婚。

2014年から急激に体力が低下し歩行困難となったため、10月から店をスタッフに任せて治療専念の療養生活に入った。

2015年1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市の病院で死去。51歳没

セ・リーグの中日、阪神に所属して活躍した大豊泰昭さんも白血病により亡くなっています。

退院後には骨髄バンクの講演を行うなど、同じように白血病に苦しむ人達のために積極的に活動し、励まし続けました。


懸命な闘病生活の末に惜しくもこの世を去った著名人の方々にこの言葉を送ります。

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まとめ

池江璃花子さん以外にも白血病と闘った人達を見てきましたがいかがでしたでしょうか?

残念ながら亡くなられてしまった方もいましたが、それらの方々もたくさんの人達の励ましを受け、必死に白血病と闘い続けました。

池江璃花子さんに対してもまた、多くの人が声援を送っています。

長い闘病生活になるかもしれませんが決して孤独ではないことを心に留めて白血病に立ち向かってほしいと思います!

コメント

  1. […] >>1 過去に白血病になった芸能人まとめ!渡辺謙【完治】から大塚範一【再発】まで | 轟勇気のホットなササヤキ https://geinoumaru.com/kenkou/1406/ […]

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